ビヨンセのモノマネで有名な芸人の渡辺直美さん。
最近では、Instagramでもフォロワー数500万人と大人気です。
ド迫力ボディを惜しげもなく披露したビキニ写真が話題になりましたね。
今や大人気の渡辺直美さんですがどんな幼少期を過ごして育ったのでしょうか??
台湾出身でハーフの渡辺直美
生年月日:1987年10月23日 出身地:茨城県 血液型:A型 身長:158cm 学歴:石岡市立石岡中学校 出身:NSC東京校12期
吉本興業の渡辺直美さん公式プロフィールには出身地が「茨城県」と書いてありますが、日本人の父親と台湾人の母親のもと、台湾の台北・バンチャオで生まれたハーフです。
幼少期に茨城県に移り住むのですが、その後すぐに両親が離婚してしまい、日本語が分からない母親に育てられながら茨城の小・中学校に通います。
とはいっても、お母さんと台湾と日本を行き来する生活だったようで、お母さんは相当苦労して渡辺直美さんを育てられたようです。
ちなみに渡辺直美さんには台湾在住のお姉さんがいます。
とっても美人ですよね。そして細い!笑
渡辺直美は中国語が喋れる?日本語が苦手?
台湾で生まれた、と聞くと「中国語が喋れる」のかと思ってしまいますが、実は渡辺直美さん中国語は話せないものの、ヒアリングはできるようです。
ただ以前、中国人のクォーターである野村周平さんに、イベントで「中国語で大人の女性を口説かれる」というシーンがありました。
渡辺直美さんは、野村周平さんに中国語で話しかけられた時に「ほとんど何を言っているかわからなかった」と答えているので、そもそもヒアリングもあまりできていないのかもしれませんね。
日本語がわからず芸人を辞めようと思った過去も
ちなみに、日本と台湾を行き来する生活を送っていた渡辺直美さんは、実はもともと日本語も得意ではありませんでした。
お笑いの世界に足を踏み入れてからも、大喜利のお題を理解できない、咄嗟の振りに言葉を返せないなどの出来事が度々あったそうです。
「自己紹介お願いします、と言われた時に急に片言になっちゃうんですよ。あんまり日本語とか得意じゃなくて、掛け合いなんかできないんですよ。いまだにそれができてないんですけど、(デビューして)最初の2、3年、ほぼしゃべってないんですよ」引用元:J-castニュース
芸人なんてもう無理だよ、と落ち込んでいた渡辺直美さんを救ったのがなんと、オリラジのあっちゃんこと中田敦彦さんでした。
「言葉が話せなくてもお笑いはできる、おまえの長所を伸ばせ」
と言われ、表現力を最大の武器とすることを決め、ニューヨークに留学してエンターテイメントを学んだ渡辺直美さんはコンプレックスを克服したそうです。
確かに、渡辺直美さんの芸は、ビヨンセなど、体を使ったダイナミックな表現で笑いを取るものが多いですね。
ワールドツアーでは生まれ故郷の台湾にも凱旋するそうです。言葉の壁を超えて、世界に渡辺直美さんの魅力を見せつけてもらいたいですね!
実家が貧乏でバイトに明け暮れた渡辺直美
そんな渡辺直美さん、芸人になりたい!というのは幼いころからの夢でした。
ただ実家は貧しく、高校にも行かずファミレスで1日8時間もバイトをしながらお金をため、NSCの12期生に合格することができたそうです。
芸能界デビューは18歳のときですが、デビューしてすぐの頃にお笑いでは食べていけず、なんとイメ◯ラで働いていたそうです。その時の写真がこちら。
いや〜、痩せてますね(笑)別人です。
もともと目鼻立ちがしっかりしている渡辺直美さんです。痩せていたら相当かわいいのは想像できますよね。
事実、この頃は指名の数がハンバなかったようです。。
その後、フジテレビの「笑っていいとも!」のアシスタント「いいとも少女隊」の一員に抜擢され、だんだんと名前が知られるようになっていきます。
そしてオリラジのあっちゃんからのアドバイスを受けて「ビヨンセのモノマネ」といった芸人としての個性を磨いて行くようになるのです。
普通の人ならコンプレックスになりそうなことを生かして、自分の魅力を存分に発揮している渡辺直美さん。
渡辺直美さんの堂々としたありのままの姿に、憧れますよね。
芸歴10周年を迎え、ワールドツアーや個展も開催されます。世界に羽ばたく渡辺直美さんをこれからも応援したいです。
まとめ
今では、個性的な髪型やメイクですっかりファッションリーダーの渡辺直美さん。
これからも、渡辺直美さんらしいカワイイを発信していってほしいですね。