6月21日(水)に行われた王将戦一次予選で澤田真吾六段を破りついに歴代連勝記録一位に並んだ藤井聡太四段。
どこまで連勝記録を伸ばすのか、将棋ファンならずとも気になるところですよね。
これほど将棋が強いということは、藤井聡太四段が通っている中学校はかなり偏差値が高いのでしょうか?
そもそも将棋を始めたきっかけって何なのでしょうか?
今回の記事は破竹の勢いが止まらない藤井聡太四段のプロフィールからです。
藤井聡太四段のプロフィール
名 前:藤井聡太(ふじい そうた) 生年月日:2002年7月19日(現在14歳) 出身地 :愛知県瀬戸市 師 匠:杉本昌隆七段
現在プロ棋士として活躍する藤井聡太四段ですが、なんとまだ若干14歳の中学生棋士です。
これまでに中学生でプロ棋士となったのは藤井聡太四段を除くと4名のみ。
谷川浩司九段、羽生善治三冠、渡辺明竜王と、先日引退されたばかりのひふみんこと、加藤一二三九段です。将棋に詳しくなくても名前を知っている、そうそうたるメンバーですね。
この中で14歳7ヶ月という最年少記録を持っていたのが加藤一二三九段だったのですが、藤井聡太四段はその記録を62年ぶりに更新して14歳2ヶ月でプロ棋士となりました。
藤井聡太の家族は?将棋は父の影響?
4人家族の次男として生まれた藤井聡太四段。4つ上のお兄さんがいらっしゃいます。
僅か14歳にしてプロ棋士となった藤井聡太さんですから、ご両親も将棋関係の方なのかと思いましたが、お父様は総合住宅メーカーに務めるサラリーマン、お母様は専業主婦という、いたって普通のご家族のようです。
藤井聡太四段は幼い頃から、何かをやり始めたら最後までやり続ける子供だったそうで、小さい頃から集中力の高さがあったのだとか。
何でもプラレ-ルを作り始めたところ、部屋がいっぱいになるまで組み立て続けたというエピソードも残っているそうです笑。
将棋をはじめたきっかけは?
藤井聡太四段が将棋を始めたきっかけは5歳の時に、くもん出版の「かんがえる」シリーズNEWスタディ将棋を使って祖母から将棋を教えてもらったことらしいです。
将棋の経験がほとんどなかった祖母を相手に、最初からたくさん勝てたことが将棋にハマったきっかけだそうで、どこに才能を見いだすチャンスがあるか本当に分かりませんね。
祖母が相手にしきれなくなった藤井聡太四段は、次は祖父と対局を始めることに。
最初のうちは何度か負けてしまうこともあったそうですが、ここで藤井聡太四段の負けず嫌いの性格が発揮、自身が勝つまで絶対に止めようとしなかったのだとか。
勝負の世界で勝ち上がってくる人はやはりどこか違うものなのですね。
藤井聡太四段の母親によると、藤井聡太四段は「生活能力が低い」のだとか笑。
藤井聡太四段はよく忘れ物をしたり、買い物が苦手だそうで、母親によると将棋の強さよりも「自立できる大人になってほしい」と願っているそうです笑。
変わったエピソードとしては藤井聡太四段は「憧れの棋士は?」という質問に
「いない」と答えたそうで、その理由は「憧れという存在から抜け出さないと勝つことが出来ないから」。
恐れ入りました笑。
藤井聡太の中学はどこ?偏差値は?
調べたところ藤井聡太四段が通っている中学校は、名古屋大学教育学部附属中学校だそうです。
社民党の辻元清美衆院議員やサッカー解説者でおなじみの中西哲生さん、俳優の加藤晴彦さんらを輩出しています。
学生の自主性を重んじ、人間形成を目的とし、自立できる力を育てることを教育方針に掲げている同中学校の偏差値は66。
愛知県内では10位以内に入るほどのレベルの高さでした。(参照HP:シリタス)
藤井聡太四段が得意にしている教科は数学だそうで、その理由は解答までのプロセスが将棋と似ているからなのだとか。
大人しそうな藤井聡太四段ですが、一度だけ中学校の担任教師と“学生としては当たり前と思われていること”が原因で言い合いになったことがあるそうです。
その言い合いの原因は【宿題】でした。
学校を離れると将棋漬けの毎日を過ごしている藤井聡太四段にとって、放課後の時間はとても貴重なもの。
その貴重な時間のほんの一部でも宿題にとられてしまうのは辛かったのでしょうか?
藤井聡太四段の言い分によると
「学校の授業だけで十分理解出来るのになぜ宿題が必要なのか?」
ということらしいです。
藤井聡太四段は自分には復習は必要ない、と言いたかったみたいですね。
結局この騒動は学年主任まで出てきて説得する事態になりましたが、今では藤井聡太四段も納得しているそうです。
藤井聡太の華麗なる将棋の経歴
幼稚園の年中組の時から将棋教室に通い始めた藤井聡太四段。
2010年3月には日本将棋連盟が新たな人材育成を目標にして運営している「東海研修会」にアマ初段として入会しました。藤井聡太さん、僅か7歳のときです。
すると翌2011年に「全国小学生倉敷王将戦・低学年の部」で初優勝した藤井聡太四段は早速才能の片鱗を見せ始めます。
藤井聡太四段は2012年6月に東海研修会のクラスがB1に上がったことにより、新進棋士奨励会の昇級規定をクリアし一次試験免除の資格を得て、同年9月に6級で奨励会入り。
わずか10歳での奨励会入りは異例の早さで、あの羽生善治四冠でも12歳だったことを考えれば「すごい!」としか言いようがありませんね。
その後も驚異的な進歩を見せる藤井聡太四段は、初段から三段までいずれも最年少記録でのスピード昇段という飛躍を続けます。以下は前述の通り。
そしてついに2016年10月1日に14歳2か月という、これまた最年少記録というおまけ付きでプロ棋士の仲間入りを果たしました。
中学生でのプロ棋士入りは歴代5人目というスピード出世で、これまで最年少記録を保持していた加藤一二三さんの14歳7か月を62年ぶりに更新するという驚愕の記録でした。
コチラが“ひふみん”の愛称でおなじみの加藤一二三さんです。
奇妙な縁と言うべきなのでしょうか、藤井聡太四段のプロ公式デビュー戦の相手となったのはその加藤一二三さんでした。
前最年少記録保持者の加藤一二三さんとの対局は各メディアも大きく取り上げるなど大注目。
結果は藤井聡太四段が110手で制し、プロ公式戦初勝利を見事に飾りました。
その後も藤井聡太四段よりも段位も高く経験も多いプロ棋士たちとの激戦を何れも制し連勝街道を進み続けています。
これから先も我々の想像を遥かに超えるような結果を残し続けてくれるのではないでしょうか。